恋三昧

【18禁】 BL小説取り扱い中。苦手なかた、「BL」という言葉に聞き覚えのないかた、18歳未満のかたはご遠慮ください。

2010年09月

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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (29)


「じゃあ俺がする、手当て。店に救急箱あるから、依織、来て?」
「でもアッキー、時間…。電車の」
「そんなこと言ってる場合かよ!」

 もちろん瑛貴は終電で帰る気満々だったが、顔を見たいと言ってやって来た依織がケガをしているのに、本当に顔だけ見せてバイバイなんて出来るわけがない。
 無理やり依織を連れてJADEに戻ると、これから帰るところだったらしい数人のホストと綾斗が店内にいて、戻って来た瑛貴に驚いた顔をする。

「綾斗さん、ちょっと…」

 瑛貴は綾斗に、入口で待たせている依織がケガをしていることを伝え、手当てをさせてほしいと頼んで、バックルームに向かわせてもらった。

「大丈夫かよ、病院行かなくて」

 救急箱を持ってきた綾斗が、心配そうに依織の顔を覗き込む。
 前に会ったときは、やり手の代表らしい厳しい雰囲気だった綾斗だが、今こうして見ると、柔らかなニュアンスの、人懐こそうな顔をしている。

「あ、はい、平気です…。すいません、お店もう終わっちゃってるのに…、しかもお客でもないのに…」
「そんなの気にすんなよ、傷が残ったほうが大変だろ。しっかり手当てしてもらえよ」
「はい…ありがとうございます」
「じゃあ瑛貴、戸締り頼むな。セキュリティの入れ方、分かるな?」

 普段は、終電に間に合うように店を出る瑛貴は、最後まで残っていることはめったにないが、綾斗のいない日に、代わりに戸締りをしていくこともあるから、その点なら大丈夫だ。
 しかしそれでも心配だったのか、綾斗は念のため瑛貴にセキュリティ装置の入れ方を伝えた。

「それと、始発まで行くとこないなら、ここにいてもいいけど、2人だからって変なことすんなよ。ラブホじゃねぇんだから」
「何もしないよ!」

 申し出はありがたいけれど、まさか職場でそんなマネ、言われなくたって絶対にするわけがない。
 依織を女の子だと思っている綾斗の、下世話な心配に苦笑しつつ、瑛貴はバックルームを出て行く綾斗に頭を下げた。

「ホントにもー、綾斗さんてば…。てか、えっと、消毒…。あ、口んとこの傷なのに、消毒、口に入っちゃわないかな?」
「舐めなきゃ平気だと思う。大丈夫だよ、アッキー」

 瑛貴は、消毒液のボトルに書いてある注意事項を熱心に見ている。
 依織はそういうことにわりと無頓着なので、読まずに使用してしまうことが多いから、何だかこの光景はちょっと新鮮だ。

「じゃ、付けるよ? 沁みたらゴメン」
「沁みないようにして」
「それはこの消毒に言って」

 むちゃくちゃな会話をしながら、瑛貴は消毒液を垂らしたコットンを依織の口元に当てる。
 身構えていたが、やはり沁みるものは沁みるので、依織はビクッと肩を竦ませた。

「もうちょっと……でもまだ血が滲んでる…。何か貼ったほうが…」
「いいよ、大丈夫。乾けば平気だから」

 一応の手当てが終わって、瑛貴のほうがホッとする。
 依織には言わなかったが、人のケガの手当てなんて、実はこれが初めてだったのだ。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (30)


「ありがとう、アッキー。でもホントにゴメンね。もうこの時間じゃ、電車終わっちゃったよね?」
「だからいいって。終電で帰れないからって、どうすることも出来ないわけじゃないから。てか、ほっぺた冷やしたほうがいいよね? ちょっと腫れてる」
「大丈夫だよ」
「依織、お前さー! 『大丈夫』ばっかだな! ホントは痛いんだろ? 我慢すんなよ、冷やしたほうがいいに決まってんだから!」

 そう言って瑛貴は、小さい保冷剤にタオルを巻いて持って来た。
 意外と面倒見のいい瑛貴に驚きつつ、依織は素直にそれを受け取って、わずかに熱を持っている左頬に当てた。

「つーか依織、お前1人でこんなとこ来てよかったの? さっきの……彼氏は? 置いてきたの? てか、それやったの……そいつ?」
「彼氏、ていうか……さっきの人がそういうんじゃない、て……アッキー、ホントは分かってんでしょ?」

 依織は目を伏せ、大きく息をついた後、顔を上げてまっすぐに瑛貴を見た。
 瑛貴は何と答えたらいいのか分からず、押し黙る。

「アッキー、俺が前に別の男の人と一緒にいたの、知ってるでしょ?」
「…」
「俺が40後半のオッサンと腕組んで歩いてたの、キャバ嬢の子? から聞いたでしょ?」
「え、何でそれ…」

 依織が言わんとしていることは、瑛貴が真夕子との待ち合わせのときに依織を見掛けたことではなく、その後、有華に依織が浮気していると騒ぎ立てられたときのことだった。
 どちらにしても、依織がそれを知っているとは思っていなかったので、瑛貴は少なからず驚く。

「前にね、アッキーに会いに来たら、アッキーちょうどその子と話してて。だってあの子、めっちゃ声大きいから、聞こえんだもん。俺、アッキーの彼女じゃないけど、でも言ってる内容からして俺のことだな、て思って。ここで出てったらまずいなって思って、声掛けないで帰ったんだけど」
「そうなんだ…。てか俺、それとは別に、依織が男の人と腕組んで歩いてんの、見たことあんだけど…」

 言おうかどうしようか迷っていたことだけれど、依織が自分から話して来たのだからと、瑛貴は先日自分が見掛けたときのことを話してやった。

「…そっか。じゃあ、もうずっと前から、アッキーにはバレてたんだ」

 依織は苦笑した。
 狭い街だが、こんなに人は溢れているのに、まったく、何てタイミングだろう。

「バレて、てか……それはやっぱ、浮気してる、てこと?」

 瑛貴には分かりかねる思考だが、依織は浮気とか、そうしたことへの抵抗があまりないのか、とてもあっけらかんとしている。
 そしてさらに、瑛貴に衝撃を与えるようなセリフを続けていく。

「浮気っていうか……別に付き合ってるわけじゃないから。だって、お付き合いしたら俺が男だってバレちゃうでしょ?」
「え、じゃあさっきの人も、依織が男だって知らないの?」
「うん。なのに何かホテル行こう、みたいな感じになっちゃって。それは絶対マズイから。だってホラ、服脱いだら隠し切れないし。で、無理! て逃げようとしたら、無理やりやられそうになって、抵抗したら引っ叩かれた」
「えぇっマジで!? ヤベェじゃん、それって! やっぱ警察…!」

 まったくのん気な様子の依織に、瑛貴のほうが慌てる。
 未遂だったとはいえ、それはもう犯罪の域なのでは?



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (31)


「いいの、もう大丈夫だから。それに、どうせもう会わないし」
「…別れたってこと?」
「…………、アッキーて、彼女いる?」
「は?」

 淡々と話す依織に、深入りするつもりはないと思っていた瑛貴も、つい聞いてしまった。
 しかし依織は瑛貴の問いには答えず、質問に違う質問で返してきた。

「彼氏でもいいけど。アッキーて付き合ってる人、いんの?」
「え、何急に。いや、いるけど?」

 急に話を逸らされたようになり、瑛貴は少し面食らう。
 今は別に、真夕子のことなんて関係ないのに。

「…何で急にそんなこと聞いたの?」
「アッキーて、好きな人いたら一途なんだろうなぁ、て思ってから。だからきっとアッキー、俺みたいなの、分かんないと思って」

 瑛貴はまったく意味が分からなくて、もっと突き詰めて聞いてみたかったが、何をどう聞いたらいいか分からない。
 それに気付いたのか、依織は肩を竦めつつ、口を開いた。

「好きじゃなくてもさ、付き合えるじゃん? その場だけとか。でもアッキーて、そういうの、ないでしょ?」
「……」

 依織の言いたい意味は分かったけれど、瑛貴は頷かなかった。
 浮気とかいう以前に、依織は一緒にいたあの誰もと、最初から本気ではなかったということ。きっと瑛貴が見掛けたあの夜限りの、そんな関係。

「1人でね、あーゆうとこいると、声掛けられるから」
「…それで、一緒にいるの?」
「うん。やっぱ1人は寂しいじゃん。でも、女の子の格好してると、みんな優しいから」
「あ…」

 瑛貴はふと、思い出した。
 依織と初めて会った日のこと。
 みんな女の子には優しいから。だから女の子になりたいのだと言った依織。
 その本当の意味が、今ようやく分かった。

「…一緒にいられれば、誰でもいいの?」
「んー…まぁ、好みのタイプの人だったら、やっぱ嬉しいけど。だってホラ、お話して、ご飯食べて、それでバイバイにはなんないじゃん?」
「でも依織、男だってことバレないようにしてんでしょ? だから服脱げないて、さっき…」
「うん。体はバリバリ男だからさ。手術とかそういうの、何もしてないから。だから、服脱がなくても出来るギリギリのとこまで。口で、とか」

 依織ははっきりとは言わなかったが、それを察することの出来ないほどに、瑛貴も鈍感ではなかった。
 子どもでなくて、大人の2人がすることには、まだ続きがあって。
 けれど、女の子の格好はしていても、服を脱げば男の体をしている依織が、そのことを隠したまま最後までやることは無理だと、瑛貴は思ったのに。
 なのに依織はあっさりと、何をしているのか白状してしまった。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (32)


「ゴメンね、アッキー」
「え、何で謝んの?」
「いや何か急に黙ったから。呆れちゃったのかな、て」
「そうじゃないけど…、呆れてはいないけど、ちょっとビックリした」

 まだ依織のことなんて、本当に全然何にも知れないけれど、依織はそんなことをする子ではないと、瑛貴は勝手に思い込んでいたから。
 最後まで事に及ばないにしても、まさかそんなことをしていたなんて思ってもみなかったから、言葉が続かなくて、瑛貴は頬からタオルを外そうとする依織に、「まだダメだよ」なんて言ってみる。

「だって、ほっぺた冷たい」
「腫れたら依織だって嫌だろ?」
「ヤダ」

 顔を顰めつつも、依織は保冷剤を包んだタオルを、もう1度頬に当てた。

「あのさ依織、あの…その引っ叩かれたの、警察に行きたくないって、やっぱその…」
「んー…まぁ、やってることがやってることだからね。それに面倒くさいじゃん。ホントは男で、とかいちいち言うのも」
「面倒くさいとか! 未遂だけど、今日のだって犯罪じゃん。お前、ケガしてんだから」
「そうだけど。でもこういうので被害訴えても、大体被害者のほうが、いい思いしないし…」

 男が男に乱暴され掛けた、ということを抜きにしても、性犯罪の場合、何かにつけて被害者がツライ思いをすることが多いのは確かだ。
 依織も面倒くさいなどと言ってはいるが、そのことはよく分かっているのだろう。

「そこまで分かってんなら、そんな危ないこと、やらなきゃいいじゃん」
「何かあっても、すぐ逃げられるような場所選んでるから平気」
「…」

 そういう問題ではないと思うが、依織は「気を付けるから大丈夫」なんて言って、やめる気配はない。
 依織が何をしているのか知って、その事実は瑛貴に大変なショックを与えたし、恐らくモラル的にはいけないことだと思うけれど、何をどう咎めたらいいのか、瑛貴には分からなくて。

「別に依織がしてることに何か言うつもりはないけど……でもあんまむちゃくちゃすんなよ、危ねぇじゃん」
「…………うん、気を付ける!」

 子どもを諭すみたいな言い方をすれば、依織は一瞬ポカンとした後、笑顔で頷いた。

「てか! 依織お前、前に、この辺のことあんま詳しくないとか言ったの、嘘だろ?」
「え、何で?」
「だって、この辺あんま詳しくないのに、何ですぐ逃げられるような場所とか選べんだよ」
「あ…」

 瑛貴にしては鋭い指摘に、依織はヤバイ! という顔で視線を逸らした。
 確かに瑛貴の言うとおり、依織がこの辺りのことに詳しくないと言ったのは嘘で、瑛貴に初めて会った日より少し前から、依織は、この辺りをうろついていた。
 というのも、それより前にいた場所が長くなって、何となく顔が割れ始めたので、いろいろとやりづらくなってしまったのだ。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (33)


「…最初に会ったとき、絡まれてたのも、」
「あー……アッキー、覚えてた? …よね? そりゃ。えっと…、」
「別に依織がどこで何しててもいいんだけど……嘘とかつくなよ」
「……」
「依織が男だってこと隠して、何かそういうことしてんの、別にいいけど、いや、いいっていうか、いいわけじゃないけど、よくないとか俺が言うのもあれだけど……でも俺ら友だちなんだし、嘘とか…」

 "別にいい"と言うと、何だか依織のことをどうでもいいと思っているような言い方だと思ったが、かといって何かとやかく言うほどの間柄でもない気もして(ウザいとか思われたくないし)、瑛貴は言葉に困りつつも、何とか言いたいことを伝えた。
 大したことでなくても、やっぱり嘘をつかれるのは悲しいから。

「…うん、分かった。アッキーには、もう嘘つかない」

 自分から言い出しておきながら、あたふたしている瑛貴に、依織は少し笑ってから頷いた。

「あのときはね、アッキーと初めて会ったときのね、あれも最初、そういう系のナンパかなぁ、て思ってたんだけど、そしたらキャッチだった。相手2人だったし、何か隙がない感じだったし、ヤバいなぁ、て思ってたんだよね」
「…そっか」
「でもアッキーが助けてくれた」
「俺じゃないよ、泰我くんだよ」
「でもアッキー声掛けてくれたじゃん。あ、ねぇアッキー、もうこれ取ってもいいー?」

 先ほどタオルを外そうとして瑛貴に怒られたので、依織は一応お伺いを立てる。
 しかし瑛貴にしたって、どのくらいの時間冷やしていたらいいかなんて分からないから、「まぁいいんじゃない?」なんて適当に返事をした。

「そういえば依織、これからどうすんの? 電車終わっちゃったけど」
「あー…どうしよ。適当に友だちんとことか行こっかな。だってこの辺で、あんまアッキーとウロウロしてないほうがいいでしょ?」
「何で?」
「こないだのキャバ嬢の子とかに見られちゃったら、またいろいろ厄介じゃん?」
「あ、」

 そういえば、有華にはすっかり勘違いされているのだ。
 2人で歩いていたら、仲直りしたとか思われるのかもしれないが、そもそも依織は瑛貴の彼女ではないのだから、余計な疑惑を深めないほうが賢明かもしれない。

「ゴメン…。俺がちゃんと言っとけばよかったんだよね」
「いや、俺は別にいいんだけど……アッキーのほうこそ、大丈夫?」
「え、何が?」
「彼女。勘違いとかされたらマズイんじゃない?」

 神妙な顔つきで依織に言われ、瑛貴は少し驚いた。
 同じようなことなら、依織に初めて会った日に、七槻にも言われたのだ。
 しかし、いくら依織の外見が女の子でも、実際は男なんだから、誤解されるまでもないと瑛貴は気軽に思っていたのだが、依織本人にまでそう言われてしまうと、何だか戸惑ってしまう。

「勘違い、されちゃうかな? でも依織、本当は男じゃん? もし誤解されたとしても、ちゃんと話せば大丈夫なんじゃないかなぁ、て思ってんだけど…」
「…………。アッキーて、意外とノーテンキ?」
「何でだよ!」

 依織にとっても呆れたような顔をされて、瑛貴はちょっとだけムッとした。
 だって別に瑛貴の気持ちが依織へと移ったわけではない。本当に2人はただの友だちで、しかも依織は男で、瑛貴の恋愛対象は女性なのだ。
 これで誤解が解けないとは思えないのに。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (34)


「普通、出来れば余計な誤解はされたくないとか思わない? もし誤解が解けなかったらどうすんの?」
「そんなの…」

 そう言われても、そんなこと考えたこともなかった。
 あぁ、だから依織に『能天気』なんて言われたのか。

「でも別に…普通に女の子の友だちとか、いるし…」

 何も女の子の知り合いが、真夕子だけというわけではない。
 女友だちだっているし、有華や真美のように、この街で働く女性の中に顔見知りや知り合いならいる。

「……。アッキーがいいならいいんだけど。てかそれより、アッキーこの後どうすんの? まさか始発までここにいるとか?」
「あー…どうしよ。そうしよっかな。綾斗さんも始発まではいていいって言ったし」
「マジで!?」

 冗談で言ってみただけなのに、瑛貴が当たり前のようにそう答えたので、依織は驚いて目を見開いた。
 朝まで遊び歩かなくても、ファミレスとか、朝まで過ごせるところなら他にもあるのに。
 しかし瑛貴にしたら、今日はもう遊びに行く気にもならないし、腹も減っていないし、どうせ後2時間もすれば始発は動き出すことを思えば、そのほうが面倒くさくないと思っただけのこと。

「依織は? 友だちんとこ行くんだっけ?」
「…ん」
「そっか。じゃ、気を付けて行けよ」
「…………。…引き止めないの?」

 もう融けて軟らかくなってしまった保冷剤を、手の中でグニュグニュと弄びながら、なぜか依織は拗ねたようにそう言った。

「え、何を? 依織を?」
「…ん」
「え? え? 何で?」

 先に、友だちのところに行こうかな、と話したのは依織のほうだ。
 瑛貴と違って、どこか行く当てがあるのだと思っていたから、特に引き止めもしなかったのだが、それが何か依織の機嫌を損ねてしまったらしい。
 しかも瑛貴が『何で?』なんて聞き返してしまったものだから、依織は唇まで突き出して、ますますふて腐れたような顔になった。

「え、何? 依織、どうした?」
「…一緒に始発までここにいよう、とか言ってくれんのかと思った」
「え、いやだって」
「俺と一緒にいて、彼女に勘違いされても平気だとか思ってんなら、別に一緒にいたっていいじゃん」
「いたっていいけど、だって依織、友だちんとこ行くって言ったじゃん」
「言ったけど!」

 でも普通、一緒にいる友だち、優先するんじゃないの? と、依織はまだ拗ね気味だ。

「分かったって。依織がそうしたいなら、そうすれば?」
「うんっ、じゃあそーする」

 瑛貴の言葉に、待ってましたとばかりに、依織は笑顔になって返事をした。
 こんなところにいたって、別に店内では過ごせないし、結局この寛げるのか寛げないのかも分からない狭苦しいバックルームにいるしかないのに、何がそんなに嬉しいのやら。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (35)


「でもホント、何もないよ。寝るとしたって、このソファしかないし」

 スプリングは効いているけれど、1人だとしても、足を曲げてでしか横になれない小さなソファだ。
 たとえ2時間とはいえ、それでも本当にこんなところで過ごしたいのだろうか。

「別に平気。てかアッキー、ソファ使って? 俺、床でいいから」
「は? バッカじゃね? 床に敷くのなんか、何もねぇよ」

 一応、薄い上掛けならあるけれど、床に横になるための敷物なんて、そんな気の利いたものはない。
 まったく依織の言うこともすることも、何もかもがむちゃくちゃだと、瑛貴は呆れた。

「半分ずつ座ろ? 絶対こっちのほうがまだマシだって」

 瑛貴はスーツの上着だけ脱いで、半分のスペースを空けてソファに座った。
 依織は何度か瞬きをした後、その隣に腰を下ろした。

「何か掛けるのいる? たぶんあると思ったけど」
「いらない」

 答えながら、依織はパンプスを脱ぐ。
 それを見ていた瑛貴は、何となく「依織、靴のサイズいくつ?」と尋ねた。もちろん依織の最初の返事は、「は?」だ。

「靴のサイズ。女の子の靴て、男が履けるくらいの、あんの?」
「あぁ、そういうこと? あるよ、大きいサイズ。服だって、おっきいのあるし」
「ふぅん」

 並んで立つと依織と瑛貴は同じくらいの身長だから、大体170cmくらいで、女の子としては少し背は高めだけれど、今どき背の高い子は結構多いので、洋服の種類でも、依織は困ったことはないと言う。

「自分で買いに行くんだ?」
「うん、そう。でもときどき買ってくれる人もいるよ」

 エヘへ、と依織は笑ったが、その『買ってくれる人』というのが、先ほどまで話していたような男たちなのだと思ったら、瑛貴の胸は少しだけ苦しくなった。
 なのに依織は、そんなこと分かるわけもないから、何でもないように話を続ける。

「でもさ、買ってもらっても、その人の前で脱げないじゃん? だから悪いなぁ、て思って、そういうときは、いっぱいサービスしてあげんの」
「…何で脱ぐこと前提なんだよ」
「えー、だって普通、男が女の子に服買ってあげるって、それ脱がせたいからでしょ? マッスーそうじゃないの?」
「考えたことない」

 依織が見知らぬ男たちと、どこまでの行為に及ぶのかは知らないが、その姿を想像してしまいそうになり、瑛貴は慌てて頭から追い遣ると、自分側の肘掛けに両腕を置いて、そこに頭を乗せた。

「ぅん? アッキー? 何か機嫌悪くない? どうしたの急に」
「別に普通だし」
「眠くなった?」
「なってない」

 依織に顔を覗き込まれ、そのときちょうど目を開けていたから、寝たふりも出来ずに、瑛貴は素直に答えた。
 時計を見れば2時半を過ぎたところで、普段でもまだ起きている時間だ。
 というか、眠いから機嫌が悪くなるとか、子どもじゃないんだから。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (36)


「アッキー。眠くないなら、もっと話しよ? 俺も眠くない」
「何の話?」

 依織が男とどうとか、そんな話なら聞きたくない。
 そんなこと言いたくないから、瑛貴は口には出さないけれど。

「んー…じゃあねぇアッキー、ポケモンの中で好きなキャラは?」
「は?」

 依織があまりに突拍子もないことを言うものだから、瑛貴は思わず頭を上げて依織を見た。

「え…俺、ポケモンとか全然知らないんだけど…」
「俺もピカチュウしか知らない」

 わけの分からぬまま生真面目に答えた瑛貴に、依織は笑いながらそう白状した。
 依織が普通にソファに腰掛けたままなので、瑛貴も体勢を立て直して、椅子に座り直した。

「じゃあ何でそんなこと聞いて来たんだよ」
「んー、何かアッキーなら、すごいの知ってるかな、て思って」
「何だよ、すごいのって。知らないし」
「うへへへ」

 自分から話を振っておいて、何だかいろいろツボに嵌まったらしく、依織は変な笑い方でいつまでも笑っている。
 その笑いが伝染したのか、瑛貴までおかしくなってきた。

「ねぇねぇアッキー」
「ん? ――――て、ちょっ依織!」

 瑛貴が適当に革靴を脱いでソファの上に膝を立てると、依織は笑いながら瑛貴に凭れ掛かって、その肩に頭を乗せた。
 慌てたのは瑛貴のほうだ。
 いくら依織が本当は女の子ではないと言ったって、男同士ならなおさら、こんな寄り添うような体勢。

「アッキーの彼女てどんな人? かわいい?」
「は? 何だよ急に。てか重いよ、伸し掛かんな」

 瑛貴のほうに凭れて来る依織は、その見た目の体格に違わず、本当はそんなに重くはないけれど、瑛貴はわざとそんなことを言ってみる。
 でなければ、依織を引き離す理由が他に思い浮かばない。

「彼女、年下? あーいや年上でしょ!?」

 瑛貴の言うことは聞いていなかったのか、依織は瑛貴に引っ付いたまま、ノリノリで尋ねて来る。
 女子高生かよ! と瑛貴は突っ込もうと思ったが、依織が、どう? 正解でしょ!? という顔で瑛貴を見つめていたので、突っ込みはしまい込んで、「そうだよ」と答えてやった。

「せーかい、せーかい。依織くん、偉いねー」
「キャハハハー、ヤッター」

 何がそんなにおかしいのか、狭いソファの上で、依織が足をバタバタさせながら、笑いが止まらなくなっている。
 子どもみたいな仕草はかわいいけれど、そうするとスカートの裾が捲れ上がってしまって、男だって分かっていても、何だかちょっとドキドキしてしまって、心臓に悪い。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (37)


「依織、暴れんなって」
「んふふふ」

 瑛貴に膝を叩かれて、依織はようやく大人しくなった。
 しかし瑛貴の彼女への興味は尽きないのか、瑛貴に体を預けたまま、依織が顔を覗き込んで来た。

「どんな人? アッキーの彼女」
「…何でそんなこと聞きたいの?」
「えー何かアッキーの彼女のこと、何も知らないなぁ、て思って」
「え、知りたいの? 何で?」

 なぜ会ったこともない、今まで話したこともない彼女に興味を持つのだろうかと瑛貴が不審に思えば、依織はそれよりももっと瑛貴を驚かせる発言を平気で続けた。

「興味あるから」
「え、俺の彼女に?」
「んーん。アッキーに」
「は? え、何だよ、それ。俺に興味って何? つーか、だとしたら何で彼女のことから攻めてくんだよ」

 何だかもう全然意味が分からない。
 けれど依織は何がおもしろいのか、まだ笑っている。

「じゃあねぇ、アッキーは何でホストクラブで働こうと思ったの?」
「別に理由なんか…。他に働くとこなかったし」

 強いて言うなら、息子をニートにさせまいという、両親の熱意だろうか。
 最初は乗り気でなかった瑛貴も、今となってはそれなりに楽しんでやっているし、天職かどうかはともかく、水稼業もまったく向いていないというわけではないようだ。

「アッキーて、お父さんとお母さんにすごい大事にされてんだね」
「そうかな?」
「だって子どもの就職先、そんなに一生懸命探してくれなくない?」
「息子がニートになるとカッコ悪いからだろ?」

 確かに、高校を卒業しようかという子どもの就職先を、親が率先して探すというのは、ちょっと過保護かもしれないけれど、瑛貴が思うにそれは、単に世間体が気になるからに違いない。
 現に、一流大学を出て、いいところの企業に就職した姉は、今でも家にいるけれど、なかなか思うようなエリートコースに進めなかった瑛貴は、就職が決まったと同時に一人暮らしを勝手に決められたのだ。
 仕事をしないよりは…とは思っているようだが、やはり夜の仕事に対しての偏見はあるようで、同じ家にいて、近所で噂になったら困ると思ったのだろう。
 叔父の経営している店なら、それなりに目が行き届いて、瑛貴もとんでもない事件を起こすようなマネはしないと考えたに違いない。

「依織の家族は?」
「いるけど、もうよく分かんない。連絡つかないし」
「ふぅん」

 帰省しても特に歓迎もされない代わりに、縁を切られるようなこともない、淡々とした親子関係を続けている瑛貴だが、依織の言葉に特別驚きはしなかった。
 今どきあまり珍しいことでもないし。

「アッキーは、ホストにはなんないの? あのキャバ嬢の子、アッキーのこと指名したい~て言ってたじゃん」
「そんなの冗談に決まってんじゃん。俺なんか指名してどうすんの?」
「…アッキーて、モテんの、全然自覚ないタイプ?」

 恐らく有華も、それ以外に瑛貴を指名したいと言ったお客も、冗談やお世辞でなく本当にそう思っていただろうに、当の瑛貴がこの調子なのだ。
 ここまで駆け引き下手だと、やはりホストではなく、内勤のほうが向いているかもしれない。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (38)


「依織は……何してる人?」
「仕事? してるように見える?」
「見えないから聞いたの」

 堅気の仕事をしているとは思えないが、普通の女の子のように服やメイクにお金を掛けているのだとしたら、何か収入がなければ。
 それともまさか、そのすべてを男性から貢がれているとか?

「ま、適当に。自分が食べてく分くらいは適当に稼いでるよ」

 依織はモゾリと身じろいで、ソファの背凭れに頭を乗せ替えた。
 あまり追及されたくない話題なのだろうと思い、瑛貴はそれ以上は聞かなかった。

「…ねぇ、眠くなんない」
「もう3時過ぎたよ」
「始発まで1時間あるじゃん。アッキー眠くなっちゃった?」
「そうでもないけど」

 大体、今寝たら、確実に寝過ごしてしまいそうだ。
 2部の出勤をしてきた連中に、そんな姿を見られたくない。

「寝ないなら、外行かない?」
「どこに?」
「どこでもいいよ」

 出かけるのが面倒くさいから、始発の時間までここにいようと思ったのに、『外行かない?』と尋ねてきた依織は、瑛貴がNOの返事をするとも思っていないのか、さっさと立ち上がっていた。

「じゃあ駅まで」
「すぐ着くし」
「ゆーっくり行くの。ね、アッキー」

 一体どのくらいゆっくり歩けば、普通5分もかからない道のりを、1時間も掛けることが出来るのだろうか。
 それでも瑛貴は、仕方ないなぁ、と立ち上がった。

 綾斗に言われたとおり、しっかりと戸締りをして、セキュリティサービスの設定をすると、瑛貴は依織を連れて店を出た。
 以前よりも取締りが厳しくなったことで、この時間、営業している店は限られているが、それでも人通りは結構ある。

「依織、駅向こうだけど」

 いきなり依織が駅とは反対方向に行こうとするから、瑛貴が驚いて声を掛ければ、依織が笑いながら振り返った。

「だって普通に行ったら、すぐ駅に着いちゃうじゃん。ちょっと回ってこうよ」
「はぁ?」
「ね?」
「まぁいいけど…」

 仕方なく瑛貴は、依織に付いて、駅とは反対方向へ歩き出す。
 賑やかな街も、通りを1つ入っただけで静まり返っていて、何だか不気味に思えた。

「依織、ほっぺたまだ痛い?」
「ぅん? もう全然平気だよ。ゴメンねアッキー、いろいろ心配してくれて」
「別にいいけど。てか触んなよ、傷」
「でもこういうかさぶたとか、取りたくなんない?」
「我慢しろ」

 せっかく消毒までしたのに、塞がり掛けた傷に触ってしまっては、何の意味もない。
 傷口に触れようとする依織の手を、そこから引き剥がした。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (39)


 それからたっぷり1時間くらい掛けて街を一回りしたころ、ようやく東の空が明るくなり始めて、夜明けを予感させた。
 駅にも少なからず人が向かい始めている。

「多分さ、今この駅にいる人たちの中で、俺らが一番歩いてきたよね?」
「ふはっ、お前が歩こう、つったんだろ?」

 駅にいるのは、出張にでも向かうのであろうビジネスマンか、瑛貴たちのように終電に乗り遅れ、これから家へと向かおうとする人たち。
 みんなここが最寄り駅なのだろう。
 わざわざ遠回りして来たのなんて、絶対に瑛貴と依織の2人だけに違いない。

「じゃあアッキー、また今度ね?」
「え? は? 何で?」

 突然足を止めた依織に、定期券の入った財布を取り出そうとしていた瑛貴が驚いたのも無理はない。
 依織が別れの言葉を切り出したのは、まだ改札を抜ける前だからだ。前に一緒に駅に来たときは、依織も普通に改札内に入って、ホームまで依織を見送りに来たのに。

「んー、俺、電車乗んなくても帰れるからさぁ」
「はぁ?」
「アッキーには嘘つかないって言ったしね。だから今日はここでバイバイ」

 ポカンとしている瑛貴に、依織は笑顔で手を振った。

「は? 何言ってんの、依織。え? 電車乗んなくていいのに、こんな時間まで何してたんだよ」
「…………。あはっ、アッキーてやっぱおもしろいねっ」
「何でだよ」

 瑛貴にしたら、至極当たり前のことを聞いたつもりなのに、瑛貴の言葉に依織に吹き出し、声を上げて笑い出すから、何が何だか意味が分からない。
 てっきり瑛貴は、依織が電車で帰るものだと思っていたから、何も気に止めず一緒にいたのだ。
 帰る術があるのなら、JADEの狭いソファで窮屈になっていることも、意味もなく街中を歩き続けることもなかったのに。

「おもしろい、てか……おかしいの、お前じゃねぇの? え、俺が変なの?」
「アッキーが変だなんて言ってないじゃん」

 依織はそう言うけれど、瑛貴はからかわれているようにしか思えない。
 だって最初に会ったときだって、瑛貴は絡まれていた依織を心配して、駅まで送って行ったのだ。依織が電車で帰るものだと思っていたって、何の不思議もないのに。

「んー、だって歩くと家まで20分くらい掛かるからさぁ。送ってもらうには遠すぎるでしょ? アッキーすごい心配してたし、電車で帰ろっかな、て思って。てか、んふふふふ。きっと彼女も、アッキーのそういうとこ、好きになったんだろうね」
「は? 意味分かんね」
「そういう鈍感なとこ」
「え、バカにしてる?」

 どうしてここでまた彼女の話が出て来るんだ? と、『意味分かんね』と言った言葉どおり、瑛貴には依織がこんなにも笑っている意味が分からない。
 やっぱり俺、おかしいの? と瑛貴は首を傾げれば、依織がもう1度吹き出した。

「すぐに帰んなかったのはね、」

 依織は一瞬だけ視線を落とした後、笑顔のまま顔を上げた。
 依織がこんなにも笑っているのは、明け方の妙なテンションのせいだからだろうか。――――いや、依織はいつだって笑っている。笑顔。

「…すぐに帰んなかったのは、アッキーと、ちょっとでも長く一緒にいたかったからだよっ?」
「………………、えっ?」
「あはっ。じゃーね、アッキー」
「え、ちょっ、うわっ」

 依織の言葉が頭の隅々にまで行き渡るより前、トンッと背中を押された瑛貴は、何も身構えていなかったせいもあって、大した力でもないのに簡単によろめいて、そのまま改札を抜けてしまった。
 ちょうど手を突いたところが、改札機のカード読み取り部で、手にしていた定期券を読み込んで、改札が開いてしまったのだ。

「ちょっ依織…!」
「じゃあね、バイバイ」

 依織は手を振りながら、街の中へと消えていく。

 日が昇り、また1日が始まっていく。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (40)


 終電で帰ろうが、始発で帰ろうが、瑛貴がJADEに登場する時間は大体同じで、駅で依織と別れた今日も、瑛貴は若いホストに交じって開店準備をしていた。

 七槻は、日によって早く来てみたり、ギリギリに来てみたり、同伴出勤をしてみたりといろいろだが、今日は早く来るパターンの日だったらしい。
 ただ、早く来たからと言って、七槻が積極的に開店準備に加わるわけではなく、とりあえず邪魔にならないように店内にいることが殆どなのだが。

 そして最近七槻が早く来る理由と言えば、生真面目に出勤して来ては開店準備に精を出す瑛貴を弄ることなのだ。

「ねぇねぇアッキー、ちょっと入れ込み過ぎなんじゃなぁい?」
「…何の話?」

 本当に何のことか分からなくて聞き返したのに、七槻は「またまたぁ~」とか言いながら、カウンターを拭いていた瑛貴を肩で押した。

「七槻くん、普通に邪魔」
「邪魔て言うな、地味に傷付くから」
「せっかく早く来てんだから、俺なんか構ってないで、準備手伝いなよ」
「えー、俺、アッキー構うために早く来たのにー」

 つまらないことで喚き出す七槻にビシッと言ってやったのに、七槻はまったく堪えることなく、しれっと言い返して来た。
 そんな図太い神経をしておいて、一体何が傷付くのやら。

「だから何の話?」
「えー? 依織の話?」

 ニッコリ。
 アイドルのような魅惑のスマイルを浮かべ、七槻は周りに聞こえないよう、こっそりと瑛貴の耳元で囁いた。

「、…何で急に依織が出てくんの?」

 瑛貴は何も気にしない素振りで聞き返したが、カウンターを拭く手が止まっていて、それに気付いた七槻はフフンと鼻で笑った。

「えー、だって今朝、駅んとこで依織とバイバイしてたじゃん?」
「なん…」
「ぅん?」

 何で知ってんの? と瑛貴は聞きたかったに違いない。
 しかし固まったまま絶句している瑛貴は、バカみたいに口を半開きにしたまま、ただ七槻を見つめていた。

「何? あ、何で知ってんのか、て? だって俺も今日、朝帰ったし。昨日アフター付き合ったから」

 分かっていてわざと聞き返した後、七槻は得意そうにそう告げた。
 大きな駅だが、あの時間、朝帰りで始発に乗ろうとする連中は、大体同じ方向から来るから、出くわさないばかりではないのだ。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (41)


「で? で?」
「…何が?」

 好奇心丸出しで身を乗り出してくる七槻を、本当に邪魔そうに押し退けて、瑛貴はカウンター拭きを再開した。
 別に依織といるところを見られたって困らないけれど、どうしていつも、こう厄介な人たちにばかり見つかってしまうのだろう。

 しかし七槻は諦めなかった。瑛貴の前に立ち塞がり、1歩2歩と後退りする瑛貴とさらに距離を縮め、結局、壁際まで追い詰めた。
 周囲のホストたちは、何やらコソコソしている2人は気になるものの、何となく近寄りがたい雰囲気に、いつもよりも遠巻きにしている。

「何がじゃなくてさ! あんな時間まで一緒にいてさぁ、何してたわけ~?」

 七槻がどんな答えを期待しているのかは分かったが、しかし瑛貴の答えは、「別に何も」しかない。

 だって、依織のケガの手当てをしていたら、終電に乗れなくて、仕方がないから始発までJADEのバックルームで話をして、それでもまだ始発までに時間があって、ブラブラと駅までいっぱい歩いただけ。
 それだけなのだから。

「はぁ~? 一夜を共にして、それだけ?」
「それだけですが、何か? てか一夜て…。だって一緒にいたの、依織だよ? 何があんの?」
「あるでしょ、普通」
「いや、ないし、普通」

 一夜を共にして何かあるとすれば、それはお互いに気持ちがそれなりに盛り上がったからだろうけど、出会って間もない友人でしかない瑛貴と依織の間に一体何があるだろう。

「でも友だちとだって、そーゆーことになっちゃうことなんて、いくらでもあんじゃん?」
「そうかもしんないけど、それを何で俺と依織に当て嵌めんの?」

 だって瑛貴は、一緒に朝までいたことあるのなら、依織以外に何人もいるけれど、恋人の真夕子を除けば、1度だってそういう雰囲気にはなったことはない。
 なのにどうして七槻は、瑛貴が依織と一緒にいたことだけを、そんなふうに言うのだろう。

「だって今朝のあれ見ちゃったらさぁ」
「何が?」
「だってあんなの、どう見たって恋人同士じゃん? 『じゃあね!』 背中ドン! 『うわっ』『バイバーイv』て」
「…七槻くん、何一人芝居してんの?」
「お前らがやってたんだろ」

 …言われてみたら、確かにそんな感じにはなっていましたけれど。
 だって依織がそんなことするとも思っていなくて、瑛貴が何も身構えていなかったせいだ。
 でもそれを恋人同士とか言われても。

「あんなの、普通にバカップルじゃん」
「いや違うし。まずカップルではないから」

 七槻は、有華や真美と違って、瑛貴の彼女を知っているのだ。どうして依織と一緒にいるのを、カップルと思われなければならないのか。
 そう訴えれば、七槻はこれでもかと言うほど大げさに、溜め息をついた。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (41)


「あのさ、アッキーはそう思ってるかもだけど、周りから見たらカップルにしか見えないから」
「だから、そんなの、」
「誤解かもだけど、てか、それは俺も分かってるけど、じゃあアッキー、今そう思ってる人全員の誤解、解けんの?」
「……」

 七槻にきっぱりと言われ、瑛貴は返す言葉がなくなってしまった。
 確かに、冗談でも七槻のように言ってくれる人には言い返せるけれど、そうでない人には。
 かといって、他に何かいい打開策があるわけでもなく、ならいっそ、もう依織に会わないほうがいいとか?

「いやアッキー、そんな深刻そうな顔しないでよ」
「七槻くんのせいじゃん」
「ゴメンね。俺、かわいいい子見ると、つい苛めたくなっちゃうんだよねー。サドかな?」
「だろうね」

 あどけなく笑う七槻の性癖など知らないが、瑛貴は素っ気なくそう言い放った。

「依織に会うか会わないかはアッキーが決めることだけど、あんま深入りしすぎないほうがいいと思うよ、俺は。アッキーが、今までと同じようにしてたいならね」
「何それ、意味分かんない」
「アッキー鈍感だもんね」

 バッサリと言われ、瑛貴はムッとしたが、そういえば今朝も、依織に『鈍感』とか言われたっけ。
 自分では思っていないが、こんなに続けざまに言われてしまうなんて、もしかして相当愚鈍な性格をしているのだろうか。
 だって今も、七槻に何を言われるのか、全然ピンと来ない。

「どういうこと、七槻くん」
「だって依織ってさ、アッキーのこと好きじゃん? LOVEで」
「………………。…はい?」

 たっぷりと間を置いて瑛貴が口にしたセリフはそれだけで、しかし七槻はそれも見越していたのか、外したタイミングで聞き返して来た瑛貴を、呆れたりはしなかった。
 その代わり、同じセリフも繰り返したりしない。
 瑛貴が、聞こえていなくて聞き返したのではないことは分かるから。

「何言ってんの、七槻くん」
「気付かないふりしなくていいし」
「…ふりじゃないし。つか、何でそんなこと思うわけ?」
「見てれば分かるし」
「七槻くん、依織にそんなに会ったことないじゃん」

 瑛貴だって、依織とはまだ3回しか会ったことがない。
 そのうち七槻も一緒にいたのは1回で、図らずも依織と一緒にいるところを見られてしまったのが1回。
 それだけなのに、一体どこからそんな発想が出てくるのだろう。

「あのさ、普通そんなどうでもいい相手と、夜中にあんな狭苦しいバックルームに一緒にいる? 俺だったら、自分だけでも遊びに行くよ」
「…」

 確かに依織は、最初は友だちのところに行くと言っていたけれど、瑛貴がJADEに残ると言ったら、何で引き止めないの? と駄々を捏ねて拗ねた。
 というか、始発を待つまでもなく、歩いてだって帰れる距離に家があるのだ。
 えっと、だからそれって、そういうことなわけ?



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (42)


「だからさ。深入りしすぎると、痛い目見るんじゃない? て思ったわけ。アッキーが、彼女から依織に乗り換えるんなら、それはそれでありかもだけど」
「ないよ! 大体そんな……依織の気持ちだって、七槻くんの推測じゃん」
「まぁそうだけど。でも当たってると思うけどなぁ。俺、あんま外したことないよ、そういうの」
「今回は外れだよ」

 依織の気持ちはともかく、もし七槻の言うことが正しかったとしても、瑛貴はその気持ちに応えてはやれないのだから、どうしようもない。
 瑛貴は確かに依織のことを好きだけれど、それは飽くまでも"友だちとしての好き"で、"LOVEで好き"なのは真夕子のことだ。

「ふぅん、そう。じゃあ、彼女と仲良くね? 俺、アッキーよりは女の子の気持ち分かるほうだから言うけど、依織より彼女のほう優先してないと、彼女にすぐバレちゃうよっ?」

 何となく暗くなっている瑛貴とは対照的に、七槻は妙に楽しそうだ。
 やっぱりサドなのかもしれない。

「…分かってるし、そんなの」

 別に、依織のことを優先なんかしていない。
 メール無精なのは、何も真夕子に限ったことではないし、生活時間帯が逆転している2人だとしても、会う努力はしているはずだし。
 何よりも好きなのは、愛しているのは、真夕子のことだから。



*****

 七槻は、瑛貴の味方になろうとしているのか、単にからかう対象として見ているだけなのか、瑛貴にはよく分からない。
 ただ言えるのは、七槻の言葉は、いちいち瑛貴を動揺させるということ。

 七槻に余計なことを言われたせいで、依織が今日もまたJADEに来るのではないかと瑛貴はいらぬ心配をしていたのだが、依織が現れたのは、結局あれから5日も経ってからだった。

「ヤッホー!」
「おぅ依織」

 今日はオールで遊ぼう! という泰我と、今日も普通にこのまま終電でまっすぐ帰ろう、という瑛貴が、2人してJADEを出て来たところで、笑顔の依織と出くわした。

「えへへ、来ちゃった。珍しー、泰我くんとアッキー一緒に帰るの」
「一緒には帰んねぇよ。俺、これから出掛けるし」
「そうなの? どこ行くのっ?」

 相変わらず女の子の格好をした依織が、今日もそういうことをして来たのかは知らないが、これから出掛けるという泰我の話に食い付いて来た。

「お前も来るか?」
「んー…どうしよっかな。アッキーは? アッキー一緒に行かないの?」
「俺は…」
「コイツが来るわけねぇじゃん。誘ったって来たことねぇし」

 泰我に誘われた依織が小首を傾げながら尋ねれば、瑛貴より先に泰我があっさりと答えてしまった。
 瑛貴はそれに反論しようとしたけれど、でも行かないつもりなのも確かだから、結局「行かないけど…」と答えた。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (43)


「そうなんだ、アッキー行かないんだ」
「で、お前はどうすんの、依織」
「行く行く!」

 もちろん! とばかりに、依織は元気よく返事をしたが、その返答に瑛貴は少しばかり拍子抜けした。
 その直前に依織は、瑛貴が行くか行かないかを聞いて来てきたから、行かないと答えた瑛貴に対して、何かアクションがあると思ったのに。

(いや、別にいいんだけど…)

 依織に、一緒に駅まで行くとか言われても、それはそれでいろいろ考えてしまいそうだから、言われなくてホッとはしたが、その反面、瑛貴は何となく寂しいような気持ちにも襲われる。
 だが、寂しがりだと言っていた依織のことだ。瑛貴と一緒に駅まで来たところで、瑛貴を見送った後は1人になってしまうことを思えば、泰我と遊びに行きたがるのも無理はない。

「じゃあね、アッキー、バイバーイ!」

 かわいらしい仕草で瑛貴に手を振った依織は、泰我と一緒に、駅とは反対方向へと歩いていく。

「…」

 あり得ないと思いつつ、並んで歩くその後ろ姿は、依織が知らない男と歩いていたあの姿に重なって見えて、瑛貴は慌ててその想像を振り払った。

(でも泰我くん、依織がそういうことしてんの、知ってんのかな…)

 2人は、以前働いていたときからの友人だというから、出会ってすでに2,3年は経っているはずで。
 依織がいつからあんなことをしているかは知らないけれど、出会って間もない瑛貴にさえも話をしたのだから、恐らく泰我だって知っているに違いない。
 それでいて泰我は、依織の行為を止めたり咎めたりしたことはなかったのだろうかと、瑛貴は思ってしまう。

(まさか泰我くんとも…――――て、いやいや、そんな)

 たくまし過ぎた自分の想像力に辟易しつつ、瑛貴は駅へと向かう。
 大体、もし本当に依織と泰我がそういう関係で、今日もそのつもりで依織がJADEに来たのだとしたら、瑛貴に一緒に行くかどうかなんて聞くわけがない。
 十中八九、瑛貴は行かないと答えるだろうが、気が変わることだってあるはずなのだから。
 その裏をかいて……なんてどうでもいい心理戦なんてする必要もないし。

 …勝手な想像はやめよう。
 その言葉自体が本当か嘘か分からないが、依織は、瑛貴には嘘をつかないと言ったのだし、単純だと言われるかもしれないが、素直にその言葉を信じよう。

 大体、依織だって子どもではないのだ。
 例えば犯罪に手を染めているとか、そういうことなら瑛貴も黙ってはいないが、今依織がしていることに、瑛貴がいちいち口を出す必要はないと思う。
 それは瑛貴自身、何度も自分に言い聞かせて来たことだし、七槻にだって言われたことだ。

(そうだよ、何でこんなに依織のこと、気にしなきゃなんないんだよ)

 余計なことを考えるのをやめようと思えば思うほど、いろいろ考え過ぎてしまう自分に気が付いて、終電に飛び乗った瑛貴は、酔っ払いに押し潰され掛けながら、携帯電話を取り出した。
 メールを送る相手は真夕子。
 依織のことを頭から振り払うように、瑛貴は手早く文章を打ち込んで送信すると、携帯電話を折り畳んだ。何世代か前の携帯電話は、何度か買い替えようかとも思ったが、面倒くさくてほったらかしのままだ。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (44)


 窓の外は、華やかなネオン街から、静かな住宅地へと移り変わっていく。
 明るい車内と、暗い屋外。
 窓ガラスに映る顔は、心なしか疲れているようにも見えた。

 それから何度かメールをやり取りした後、真夕子が明日、朝から会議だということを知ったのは、瑛貴が電車を降り、駅を出て少ししてからだった。
 真夕子の勤務する会社の始業時間は8時半で、それに間に合うように出勤するのに朝が早いことは、彼女の家に泊まったことがあるので、瑛貴も知っていた。

(もう寝ないと……朝、大変なのかな…)

 ふと、携帯電話のディスプレイの隅に表示されている、デジタル時計に目をやる。
 瑛貴にしたら、いつもと同じ帰り道で、まだ全然寝る時間でもないし、起きるのだって昼近くだから、何も気にしていなかったけれど。

 開いていた携帯電話のディスプレイが、省電力モードになって暗くなると、急に辺り全体が暗くなったような気がした。

「…………ぁ……」

 そこで瑛貴は、ようやく気が付いた。
 駅からの帰り道は、今日はオールで遊ぶと言っていた泰我と別れてから、まだ30分ほどしか経っていないのに、あの煌びやかで賑やかな街と違って、暗くて静かで。
 家の明かりも疎らにしか点いていなくて、きっともう就寝しているのだろう。
 そんな時間なのだ、今は。

 瑛貴にとっては普通の時間でも、朝の早い真夕子にしたら、もう寝る時間だったのかもしれない。
 こんな時間にメールを送って来た瑛貴に、真夕子は驚きはしたものの、怒りも咎めもしなかったけれど、瑛貴だったら、きっと相当不機嫌だ。
 だって、世間一般には当たり前にメールをやり取りする午前中でも、瑛貴にしたら寝ている時間なので、そういうときにメールが来ると、結構身勝手にイライラしているから。

 真夕子からメールが来るのはいつも昼か夕方で、瑛貴はそれを、昼休みとか終業後とか、真夕子が自由にメールを打てる時間だからだと思っていたのだが、よく考えたらそれは、瑛貴が起きたころか、仕事に行く前の時間なのだ。
 もしかして真夕子は、瑛貴の生活パターンを気遣っていたのではないだろうか。

 こんな簡単なことに気付けずにいた瑛貴は、真夕子の事情なんて何も考えずに、メールを送ってしまっていた。

(謝んなきゃ…)

 瑛貴は慌てて真夕子に謝罪のメールを送る。
 本当は、こんなメールも受信せずに、寝てしまいたいのかもしれないけれど。

 焦る瑛貴とは裏腹に、すぐに返事は返って来て、会議の資料作りで起きていたから平気、気にしないで、と言われてしまった。

(真夕ちゃん、こんな時間まで仕事してんだ…)

 こんな時間まで仕事をしているのは瑛貴も同じだけれど、真夕子の場合、瑛貴が就寝して間もなく起床して、また仕事へと向かうのだ。
 きっと真夕子だって、遅い時間まで遊ぶことはあるだろうけど、瑛貴のように、寝るのが明け方という生活は、真夕子にとっては、当たり前のことではない。
 たった今、こうして繋がっているのに、何だか全然違う生活をしている2人に気が付いて、瑛貴は少し寂しくなる。

 おやすみメールを交わして、メールは終了。
 ちょうどマンションのエントランスを潜ったところだったので、そのタイミングのよさに、何だか分からない笑いが込み上げた。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (45)


 依織は、1週間から10日に1度くらいの割合でJADEにやって来た。
 しかし来るのが閉店時間を過ぎてからなので、もちろんお客としてではなくて、瑛貴が帰ろうと店を出ると、「来ちゃった」と笑う依織と会うパターン。
 依織は時々泰我と遊びに行き、時々瑛貴と一緒に駅まで向かう。

 最近よく依織が来ると思うのは、泰我とは前からの友人だというのに、今まで1度も来たことがなかったからで、それを言ったら、「だって今まで、どこで働いてるか知らなかったんだもん」と返された。
 依織の来る頻度が高いかどうかは、瑛貴にはよく分からない。

 今日は泰我が休みだったから、依織は「じゃ、アッキー一緒に帰ろ?」と誘って来て、そこまではいつもと同じだった。

「あー依織だー、超久々じゃね?」
「あ、七槻さん」

 いつもはお客とのアフターのため、瑛貴より早く店を出る七槻が、今日はたまたま最後まで残っていて、来ていた依織に気付いて声を掛けて来た。
 依織がいつ来るかなんて分からないのだから、残っていたのは偶然だろうが、この偶然はあまりにも最悪だと、瑛貴は密かに思った。

「つーか、ナツて呼んでいいって言ったじゃん。何で全然打ち解けてくんないの?」
「あははは、すいません」
「もぉー、また敬語だしー」

 七槻は分かりやすく拗ねてみせ、依織はそれに笑っている。

「依織、アッキーのこと、迎えに来たの?」

 余計なことを言うなーと、瑛貴が心の中で念じていたにも拘らず、その祈りは何も通じなかったようで、七槻は無邪気に依織に尋ねる。
 無邪気に、と言っても、七槻のことだ。本当に何の下心もなく問うたとは考えにくい。
 その証拠に、七槻は一瞬だけ瑛貴のほうに視線をくれた。

「迎えっていうか、顔でも見ようかなぁ、て」
「アッキーの? ねぇねぇ、アッキーより俺のがいい顔してない? 見たくなる顔でしょ?」
「キャハハハ」

 キリッと決めた顔に、甘えるような口調で言う七槻に、依織は大層受けているが、引き合いに出された瑛貴はおもしろくない。
 最初から、同じ土俵に乗ろうなんて、思ってはいない。

「てか、俺……もう帰っていい? 電車…」

 暫くは、キャッキャし合っている依織と七槻を眺めていた瑛貴だったが、目を遣った腕時計の時間に、ハッとなった。
 依織に、一緒に帰ろ? と誘われていたし、依織と七槻が喋っているのを待っているのはいいんだけれど、瑛貴は終電までには間に合うように駅に行きたいのだ。
 ここでのんびりしているなら、もう駅に行かせてほしい。

「あ、待ってよアッキー。一緒に駅まで行こうよ」
「いいけど…」

 ずいぶん楽しそうに話し込んでいるし、そのまま七槻と遊びでも行くのかな、と思っていたら、依織はすぐに瑛貴のほうに切り替えて来た。
 その横で七槻が、「げー、アッキーに負けたー」なんて、冗談で嘆いている。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (46)


「…七槻くんも、一緒に駅まで行く?」

 まだ『ナツ』とまでは呼べないが、瑛貴が呼ぶように『七槻くん』とは呼べるようになったらしい依織が、ガッカリしている七槻に気を遣って、そう提案した。

「んー、遠慮しとく。俺、今日行くとこあるし」
「ふぅん?」
「じゃ、バイバーイ。気を付けてね、……色々と」

 最後の一言、瑛貴に向かって意味ありげに言うと、七槻は2人に背を向けた。
 瑛貴は間違いなく鈍感な男だが、その意味には気が付かないわけもなく、しかし何も言い返せなかった。

「アッキー、行こ?」
「え、あ、うん…」

 七槻の言葉には特に反応することなく、依織は駅へと歩き出す。
 ホストクラブやキャバクラは1部営業を終え、明かりの消えた店舗も多いが、街にはまだ人が多い。

「アッキーて、1人暮らし?」
「そうだよ」
「なのに、仕事終わって、そんなすぐ帰って、何してんの?」
「風呂入って寝る」
「はぁ?」

 瑛貴は真面目に答えたつもりなのに、依織には訝しげな顔をされてしまった。

「え、何?」
「風呂入って寝るの? 帰ったら? それだけ?」
「あ、ご飯も食べるよ」
「そうじゃなくて! アッキー、メシ食って風呂入って寝るだけなのに、いっつもそんなにすぐ帰ってんの?」

 目をパチパチさせている依織に、瑛貴はようやくその言わんとする意味が分かった。
 言われてみれば確かに、それだけのために瑛貴は、毎日急いで帰っている。

「だって他にすることないし。テレビだってそんな時間、別におもしろいのやってないじゃん」
「家にいること前提? あ、アッキーあんま遊び行かないんだっけ?」
「こーゆー時間に遊ぶとこって、だって決まってるじゃん。俺、クラブとか苦手なの」

 こんな賑やかな夜の街で働いていながら、瑛貴は派手な音楽に満たされたクラブが、実はそれほど得意ではなかった。
 もちろんそれ以外の遊びはいくらでもあるし、瑛貴の人付き合いが極端に悪いわけではないが、そんなにしょっちゅう朝まで遊ぶという気にはならない。

「それって、ちょっとした引きこもり?」
「違うって! 夜出かけないだけだから!」

 依織にジトッと見つめられ、瑛貴は慌てて自分をフォローした。
 仕事が終わった後はすぐに帰るけれど、その後、出勤まで家を出ない、なんてことはなく、ちゃんと外にだって出ているのだ。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (47)


「へぇ、アッキー昼なら外で遊ぶんだ」
「遊ぶよ」
「ねぇそれって、ネットカフェとか漫喫とかじゃないよね? 言っとくけど、それって外で遊ぶうちに入んないからね?」
「分かってるよ! つーか依織、お前、俺のイメージ、何か勝手に作り上げてね?」

 仕事の後にすぐ帰るというだけで、勝手にどんどんイメージを広げて行かないでほしい。
 夜の仕事はしているけれど、瑛貴は夜の遊びに興味がないだけであって、別に1人の世界にしか関心がないというわけではない。

「じゃあさぁ、アッキー夜あんま遊ばないなら、昼遊ぼうよ。ダメ?」
「ダメじゃないけど、お前こそ昼なんて時間あんの? 仕事は?」

 夜にはあの界隈に来て、男たちといろいろヤッていて、あれが仕事でないのなら、昼間に何か仕事をしているはずで。
 そういえば以前、依織に仕事のことを聞いたことはあったが、何となくはぐらかされ、瑛貴も、あまり聞かれたくないことなのだろうと、あまり追及しないでいた。

「仕事のない日に! ね?」
「いーよ。あ、……うん、いーよ」
「ん? 何?」

 妙な間を持って言い直した瑛貴に、依織は首を傾げるが、瑛貴はそれには答えなかった。
 今度は昼に遊ぼうという依織の誘いに、瑛貴は即答でOKの返事をしてしまったものの、七槻に色々と言われたことを思い出し、そんなに頻繁に依織に会ってもいいものかと、一瞬、迷ってしまったのだ。

(ま、いっか。遊ぶくらい)

 依織との付き合いは、何もJADEから駅までの道のりだけではない。
 泰我も一緒だが(というか泰我が誘って来るので)、眠いなー帰りたいなーと思いつつ、依織と朝まで遊ぶこともあった。

「じゃ、今度遊ぼうね……て、あれ?」
「ん? どうした?」
「ねぇアッキー、もしかして電車終わってね?」
「は? 何で? まだ時間じゃないよ」

 駅が見えたところで依織が焦ったような声を出すので、瑛貴は不思議に思う。
 瑛貴の腕時計は、終電までにはまだ全然余裕な時間を指しているのに。

「何言ってんのアッキー、もう1時半だよ!」

 瑛貴の肩をパシパシ叩きながら、依織は駅前に設置してある時計を指差した。

「え、どこ見て言ってんの?」
「アソコ! ちょっアッキーどこ見てんの? 時計あっち! 俺の指差すほうちゃんと見てよ!」

 まったく、今までに何百回、何千回とこの駅を利用しているくせに、どうして時計くらいすらすんなり探せないでいるんだろう。
 本当にどうでもいいところで鈍臭さを発揮する瑛貴に、依織は強硬手段とばかりに、両手で瑛貴の頭を押さえると、無理やり時計のほうを向かせた。

「ちょっ依織、やめ…、えっ…」

 依織に抵抗しようとしたのも束の間、瑛貴は眼前に飛び込んで来た時計に目を疑った。
 1時半。
 アナログ式の大きな文字盤に、2本の針が表す時刻は、間違いなく1時半。いや、正確に言えば、1時28分くらいだけれど、そんなことはどうでもいい。
 どちらにしたって、終電なんて、とっくに出た後の時間だ。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (48)


「え、何でっ? 何で!?」
「知らないよっ!」

 現在時刻に気付いてパニックに陥る瑛貴に、依織にもそれが伝染して、2人して駅前でキャアキャア騒ぎ出す。
 本当に終電を過ぎた時間なのだとしても、駅前にはまだ人が多くて、俄かには信じられない。

「アッキー、自分で時計見て時間確認してたんじゃないの!?」

 依織は腕時計をしない派だが、瑛貴はスーツ姿が七五三だと言われてしまうのと同じよう、お仕着せのように嵌めている腕時計があって、さっきだってそれで時間を確認していたはずだ。

「そうだよ、時計! さっき見たとき、まだっ………………」
「アッキー?」

 スーツの袖を巻くって腕時計を覗き込んだまま、そのまま格好で固まってしまった瑛貴を、依織は心配そうに見つめる。

「――――ッッッ、、、、、」
「アッキー?」
「…………止まってる……」
「………………。はあぁ~~~~~~????」

 瑛貴の時計は1時間も前の時刻を指したまま、秒針がピクピクとその場で跳ねているだけで、少しも時刻を刻んで行こうとはしていない。
 絶望的な瑛貴の声に、依織は追い打ちを掛けると分かっていながら、つい呆れたように声を張り上げてしまった。

「だっだって!」
「ちょっと見せてよ、て、ちょっ、1時間前じゃん!」

 瑛貴の腕を掴んで、依織も無理やり時計を覗けば、瑛貴の時計は現在時刻よりも1時間も前で止まったままだ。
 それでもと思って、依織は自分の携帯電話を取り出して時間を確認すれば、やはり時刻は午前1時32分。

「アッキー!」
「だってだって!」
「何回も時計見てたのに、何してんの!?」
「だって~~~~!!!」

 確かに瑛貴は、店を出てから、何度か時計を確認している。
 そういえば、そのたびに時計は、ずっと同じ時間を指していたかもしれない…。

「アッキーーーー……」

 グッタリと項垂れる瑛貴に、同じくグッタリとした声を出す依織。
 こんな虚無感、そうそう味わえるものではない。

「はぁーーー。で?」
「え?」
「どうすんの?」

 深い深い溜め息の後、依織がまだ呆れた感を十分に残したまま尋ねてきて、瑛貴はとりあえず頭を起こした。

「『え?』じゃないよ。終電終わったの、アッキーこれからどうすんの? またお店に泊まんの?」
「あ」



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (49)


 電車に乗り遅れた理由が、時計が止まっていたから、という昔のコントのような出来事にすっかり脱力し、思考回路がうまく機能していなかったが、終電に間に合わなかった以上、これからどうするかを考えなければならないのだ。

「どーしよ…」
「お店、泊めてもらえば?」
「でももう、時間的に人がいないと思う…」

 今日は綾斗も出勤していたから、鍵は彼が持っているはずで。
 それに、JADEは宿泊施設ではないのだ、まさか瑛貴が泊まるために開けてもらうわけにはいかない。

「じゃあどうすんの? タクシー? カプセルホテルとか泊まる?」
「うー…」

 家に帰るとなれば、この際、タクシーしかないだろう。
 瑛貴はここから自分の家までタクシーで行ったことはないけれど、今日の財布の中身で足りるかしら。

「カードは?」
「…持ってない」
「ウッソでしょ!?」

 あーもう信じらんないっ! と、とうとう依織のほうが頭を抱えた。

「ゴメンね、依織…」
「…んーん。てか俺のせいだよね!? 何かのんびりしてたから! ゴメン…」

 シュンとしてしまった瑛貴に、依織のほうも少し冷静になる。
 よく考えたら、瑛貴は早く駅に行きたがっていたのに、依織が七槻と話し続けていたのがいけなかったのだ。

「ゴメンね、アッキー、ゴメン!」
「いや、いいよ別に。俺が時計止まってんの気付いてたら、何てことなかったんだし」
「でも…。あっ、じゃあアッキー、俺んち来る?」
「は?」

 ゴメン! と両手を顔の前で合わせて頭を下げていた依織が、突然、名案とばかりに顔を輝かせた。

「俺んちなら歩いてでも行けるし。行くとこないなら、俺んち来ていいよ?」
「え、でも…」

 それは大変ありがたい申し出だけれど、瑛貴はすぐにOKの返事が出せなかった。
 つい先ほども七槻に、いろいろと気を付けろと言われたばかりなのだ。これであっさり依織の家に向かってしまったら、まったく何も気を付けていないのと同じだ。
 けれど、終電に乗り遅れたのは事実だし、行くのは依織の家であって、女の子の家でもないと思い直す。

「…じゃ、そうしよっかな」
「ホント? アッキー、家来る? 来る?」
「うん」
「やった。じゃあ行こっ?」

 なぜか瑛貴より依織のほうが喜んでいるようにも見えたが、とりあえず今日の宿を確保できたことにホッとした。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (50)


「お邪魔しまーす」
「ゴメンね、呼んどいて全然広くない部屋で」
「別に普通じゃね? 俺んちもこんくらいだよ?」

 瑛貴の住んでいるところも、マンションとは言うものの、築20年の3階建ての建物で、部屋も決して広くはない。
 依織は大変恐縮しているが、別に気にするほどでもないと思う。

「ホント? 何かおっきいマンションとか住んでそう」
「何で。全然普通だよ」

 ホストクラブで働いている=高級マンションで生活、みたいな図式が、どうやら依織の頭の中にはあるようだが、そんな生活が出来るのは、稼ぎ頭のナンバークラスのホストくらいだ。

「先ご飯食べちゃう? その間にお風呂お湯溜めるから」

 途中のコンビニで買って来たお弁当とデザートをテーブルの上に置いて、依織がバスルームのほうに向かおうとする。

「あ、依織。俺、風呂いいよ。普段、シャワーだけの人だから」
「そうなの?」
「あ、依織が入るんなら、もちろん入れてね」
「うぅん、俺も大体シャワー。じゃ、ご飯しよ? あ、その前に着替える? スーツじゃ苦しいっしょ?」
「え、うん…、あ、でも」

 着替えたい気持ちは山々だが、自分の家に帰る気満々だった瑛貴は、何の着替えも持って来ていない。急に依織の家に泊まることになったのだから、言えば依織は貸してくれるだろうけど、………………もしかして女物?
 依織の女装癖を否定はしないが、自分もしたいかと言えば、そんなことは絶対にない。たとえその格好を見るのが依織だけだとしても。

「はい、アッキー。背とかあんま変わんないから、俺ので入るよね?」
「あの、依織、やっぱ……え? あれ?」

 借りるなら、女の子の服でも、出来る限りユニセックスのような、男でも着れるようなものがいいなぁ…と密かに思っていた瑛貴は、出されたジャージが意外と普通だったので、逆に驚いた。

「え、何? ジャージやだ?」
「いや、全然ヤじゃないけど。いや、あの、女の子の…」
「ぅん? あ、女モンの服出されると思った? 大丈夫だよ、ちゃんと男物のも持ってるから。てか、家に1人でいるとき、女の格好なんてしてないし」

 瑛貴が思っていたことをズバリ言い当てて、依織は苦笑しながら自分も着替え始める。
 女の子の格好をした依織が、(当たり前だが)躊躇なくポイポイと脱ぎ捨てていくので、瑛貴のほうが何だか焦ってしまう。

「アッキー?」
「…何でもない」
「はぁ?」

 よく分かんない、という顔をしながらも、着替え終えた依織はカバンから携帯電話を取り出して、着信を確認している。

「依織、風邪引いてんの?」

 依織のジャージに着替えた瑛貴が、ローテーブルを囲むように座ると、ふとそんなことを尋ねたので、依織は「ん?」と顔を上げた。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (51)


「これ、うがい薬。予防?」
「あー……これ」

 何のことかと思っていたら、携帯電話を取り出す際に、カバンの中から転げ出てしまったうがい薬の小さなボトルに、瑛貴は気が付いたらしい。
 瑛貴としては大したことを聞いたつもりもなかったのだが、依織はなぜか、「あちゃー」みたいな顔をしている。

「え、何?」
「いや、ホラ……やっぱ口ゆすぎたいじゃん? ヤッた後」
「ッ…」

 何を? などと、聞くまでもなかった。
 依織は一緒にいる男と、『口でしてあげる』までの関係は持っているのだ。
 つまり『ヤッた後』というのは、『口でしてあげた後』ということで、それなら風邪でなくてもうがい薬を常備している理由も分かる。

「ゴメンね、メシ前にする話じゃないよね」

 固まってしまった瑛貴に、依織は苦笑しながら、うがい薬をカバンにしまった。

「ご飯、しよ?」
「…うん」

 微妙な空気を打開するように、わざと依織は明るい声を出した。

「あーパスタあっためてもらうんじゃなかったー。何か微妙に冷めてる…」

 1度融けたバターが固まり掛けて、麺にベットリと絡み付いている。
 貰ったプラスチックのフォークで麺を解しながら、依織は渋い顔だ。

「もっかいあっため直したら大丈夫かなぁ?」
「えー…大丈夫かもしれないけど、さらにまずくなる可能性も秘めている」
「いやアッキー、何でちょっと評論家みたいな口調になってんの?」

 唇を尖らせて拗ねていた依織が、ブハッと吹き出した。
 パスタ1つで沈んだ気持ちが、瑛貴の一言で一瞬にして浮上する。自分が意外と単純な性格をしていることに、依織は改めて気が付いた。

「ま、いっか。あっため直すの面倒くさいし。あ、アッキー、乾杯する?」
「は? 何に?」

 帰宅すると基本的に1人なので、瑛貴は家でアルコールを飲む習慣はないのだが、今日は依織が「ちょっとだけ飲もうよ」と誘ったので、2人で缶のチューハイを1本ずつ買って来た。
 仕事柄、飲み物はグラスに注ぐものだと思っている瑛貴が、面倒くさがる依織にグラスを持って来させ、丁寧に注いだところで、依織から乾杯の提案があった。

「じゃあねぇ、アッキーのお泊まり記念」
「はぁ? いらねぇよ、そんな記念日」
「もーいいじゃん、いいじゃん。はいカンパーイ」

 よく分からないまま、依織の言葉に釣られて、瑛貴はグラスを掲げてしまった。

「アッキーさぁ、仕事終わったら、いっつもすぐ帰ってんでしょ?」
「んー? うん、まぁ大体」
「そんで、いっつも1人でご飯食べてんの?」
「うん」

 唐揚げをモグモグしながら頷いて顔を上げたら、肩よりも少し長いくらいの髪を後ろで1つに束ねた依織が、眉を寄せつつ瑛貴を見ていた。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (52)


「何?」
「それ、めっちゃ寂しくない?」
「しょーがないじゃん、1人暮らしだもん」

 深夜の静まり返った部屋で、1人コンビニの弁当をつつく男がどれほど寂しいかなんて、今さら依織に言われるまでもなく、瑛貴は百も承知している。
 しかし1人暮らしで、帰宅はいつも深夜となれば、一緒に食事をする相手がいないのも無理はない。

「アッキー彼女いるんじゃなかったっけ?」
「いるけど、一緒に暮らしてるわけじゃないし」

 冷めたせいで、麺同士がくっ付いてモサモサになっているパスタを頬張りながら、依織は神妙な顔で首を傾げている。
 そんな顔をされても、真夕子とは別々に暮らしているし、たとえ一緒に生活しているとしても、こんな時間の食事に付き合ってもらえるとは、到底思えない。

「彼女、何してる人?」
「OL」
「ふぅん。年上だっけ?」
「うん。ねぇ依織、もうデザート食べていい?」
「ダメ」

 先に弁当を食べ終えた瑛貴が、デザートに買ったシュークリームに手を伸ばしたが、そんな瑛貴に依織は軽く睨みを効かす。
 依織はまだ、モサモサのパスタと格闘しているのだ。

「依織、メシ食うの遅くね?」
「アッキーが早いんだよ。早食いて太るんだよ?」
「うっせ」

 仕方なく瑛貴は、グラスの中の、甘めのチューハイをグピグピと空ける。
 そういえば依織は、チューハイをグラスに注いだものの、それを忘れて、缶から直接飲んでいた。

「…今度このパスタ買うときは、お店であっためてもらうのはやめよう」

 ようやくパスタを完食した依織が両手を合わせたのを見て、瑛貴は今度こそシュークリームの袋を開けた。
 弁当の空をひとまとめにした依織も、ミルクプリンに手を伸ばす。

「依織のプリン、半熟のヤツ?」
「普通のヤツだよ。はい」

 コンビニで付けてもらった、プラスチックの小さなスプーンの上に、プリンを一欠けら乗せて、依織がそれを瑛貴の前に差し出した。
 瑛貴は一瞬躊躇ったものの、ミルクプリンの白い誘惑には敵わず、素直にそれを口に運んだ。

「んまい」

 プリンを一口貰ったお礼に、シュークリームのとろとろのクリームを、依織にスプーンで1さじ掬わせてやった。

「半熟、流行ってるよね、今。半熟カステラとか」
「俺、食ったことない」
「俺もないよ。お店、凄い混んでるて、テレビで見た」

 たあいもない話をしているうち、やはり瑛貴のほうが先に食べ終わったので、依織はもう一口だけ瑛貴に上げてから、ミルクプリンを完食した。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (53)


「アッキー、先にシャワー使っていいよ。俺、ふとん出してるから」
「ん、ありがと」
「こっちお風呂。あ、ちょっと待って、パンツの新しいの持ってくる」

 瑛貴をバスルームに案内した依織が、慌てて引き返す。
 どこにも泊まるつもりのなかった瑛貴は、もちろん替えの下着も用意してなかったから、帰りに立ち寄ったコンビニで買おうとも思ったのだが、やっぱり恥ずかしくて買えなくて。
 どうしようか迷っていたら、「俺んちに使ってないのあるから、上げるよ」と、呆れたように依織に言われたのだった。

 酔っ払うほどでもない、しかしアルコールの入った体を醒まそうと、瑛貴は頭からシャワーを被る。
 目を閉じたら、今日仕事が終わってから今までのことが蘇って、瑛貴は慌てて目を開けた。
 帰り際、七槻にさえ会わなかったら、こんなこともなかったのに。

「はぁっ…」

 深く考えるのはやめようと、最後に1度、冷たい水を被って、バスルームを出た。

「ねぇねぇアッキー。アッキーて寝相悪い人? 普通くらい?」

 バスルームから戻ると、テレビの通販番組を見ていた依織が、何だ妙に真剣な顔で振り返った。

「は? 寝相? 普通だと思うけど。何?」
「ふとん1組しかないから。アッキー寝相悪いなら、ソファに逃げようかな、て思って」
「はい?」

 何気にひどいことを言っていると思ったが、それよりももっと気になることが瑛貴にはあった。

(今、ふとん1個しかないとか言わなかったか? コイツ)

 聞き間違いかと淡い期待をしたのも束の間、視線をやった部屋の隅、ふとんは1組しか敷かれていない。
 それを確認してから依織のほうを向き直れば、リモコン片手の依織が、どうする? という顔で瑛貴を見ていた。

「え、依織、ふとん1個しかないの?」
「うん。普通そうじゃない? 1人暮らしだし」
「ウチ、自分が使ってるベッドの他に、ふとん1個あるけど…」

 正真正銘、本当にふとんが1組しかない依織とは、わけが違う。
 しかも、依織が「逃げようかな」と言ったソファも、座るのでなく横になるには、1人で使ったとしても、決して楽に寛げるようなサイズの代物ではなくて。
 なのに、驚いている瑛貴をよそに、依織は「ふとん1個、て何? 1組でしょ」と、どうでもいいことを突っ込んでいる。

「でもアッキー、寝相普通なんでしょ? ならいいよね」
「何が?」
「俺、ソファで寝なくても」
「え、俺がソファ?」

 まぁここは依織の家だし、『依織がふとんで、瑛貴がソファ』だとしてもやむを得ないけれど、あっさり言われて、瑛貴は思わず聞き返してしまった。
 しかしそれに対して、今度は依織がキョトンとする。

「え、アッキーふとんで寝ないの?」
「寝たいけど……だってふとん1個しかないんだろ?」
「一緒に寝ればいいじゃん」
「はぁ~~~?」

 相変わらずふとんを「1個」と言ってしまう瑛貴に、依織はもう突っ込み入れず、しかし瑛貴を仰天させるようなことを、当たり前のように言ってのけた。
 もちろん瑛貴は、思わず声を大きくしてしまう。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (54)


「何で? アッキーだって、ソファよりふとんのほうがいいでしょ?」
「そりゃまぁ…」

 足もロクに伸ばせそうもないし、寝返りを打っただけで、間違いなく落下してしまいそうなソファと比べれば、ふとんのほうがいいに決まっている。
 だが、敷かれているふとんだって、1人用だから、決して大きいと言えるサイズではない。

「俺だってふとんのほうがいいもん。でもアッキーが寝相最悪だったら、ソファに行こうかな、て思ったけど、別に普通なんでしょ? なら一緒でいいじゃん」
「えー…」
「じゃあアッキー、ソファ行く?」
「それは嫌…」

 寝相は普通だと答えてしまった以上、今さら「やっぱ寝相悪い」とか言えないし、この家に泊めてもらう身分のくせに、嘘までついて、ふとんを1人占めするのも後味が悪い。
 となれば、窮屈なソファで寝るか、依織と一緒にふとんで寝るか、どちらかを選ぶしかない。まさかフローリングの床に、直に寝るわけにもいかないのだから。

「とりあえず俺、風呂入って来るから、アッキー、どうするか考えててよ」

 そう言い残して、依織はさっさとバスルームへ向かってしまった。

 以前、JADEのバックルームで始発を待ったときは、寝るとしても仮眠のつもりだったから、ソファでもよかったけれど、今日はそうではないし、やっぱりふとんのほうがいい。
 瑛貴は唸りながら、ポフポフとソファの座面を無意味に叩いた。

(うー……うん、やっぱふとんにしよっ)

 依織の家に泊まることに決めたからには、今さらソファかふとんで悩むほどのことはない。
 どうせ寝るなら楽なほうがいいし…と、単純な瑛貴はそう考えて、結局、依織と同じふとんで寝ることに決めた。

「あ、メール」

 人のふとんに勝手に先に入るのも…と律儀な瑛貴はそう思って、先ほど食事をしたローテーブルのところで依織を待つことにして、しまっていた携帯電話を取り出したら、背面ディスプレイにメールの受信を告げるランプが灯っていた。
 だらけた格好で携帯電話を広げると、メールは七槻からで、ちゃんと電車に間に合ったのか心配する内容だった。

(七槻くん、心配し過ぎ…)

 ホストという職業に世間一般が抱く、よくないほうのイメージどおりに、女にも男にもだらしない七槻だが、意外にも友情には篤いし、心配性な性格だ。
 いくら瑛貴が頼りないベビーフェイスでも、夜の仕事を始めて4年も経つ、れっきとした大人なのだから、終電を乗り過ごしたところで、どうにかする術なら持っているのに。

 まぁ、依織と七槻がお喋りをしていたせいで、駅に向かうのが遅くなったのだ。瑛貴が終電に乗り遅れた理由の一端なら、確かに七槻にもあるから、気にするのも分かる。
 けれど、こんなことで七槻を責めてもしょうがないので、瑛貴は『何とかなったよ』とだけ返しておいた。
 瑛貴的には、苦肉の策の内容。
 終電に間に合ったと嘘をつくのも、きっとバレバレだし、相手が七槻だから、依織の家に泊まることにしたとも言いづらいので。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (55)


 七槻に返信してもまだ時間を持て余して、瑛貴は適当に今までに受信したメールを見るが、こんな時間にメールを送れそうな相手なんて、見当たらない。
 その中には真夕子の名前もあって、瑛貴は何となく、真夕子からのメールを開いた。
 メール無精の瑛貴にしては珍しく、ここ最近、真夕子とは頻繁にメールを交わしている。それを言えば、恋人同士なんだから当たり前だと怒られそうだが。

(そういえば、どこ行くか、全然考えてなかった…)

 真夕子とは、今度少し遠出して出掛けようという話をしていたのだが、行き先を考えておくと言ったきり、瑛貴は何もしていなかった。
 こういうとき、何だか面倒くさい…とか思ってしまう、瑛貴の悪い癖。
 たかが夕食くらいで、どこに行くかも真夕子に任せっ放しの瑛貴なのだ。こういうときに、いいようにリードできるとは、自分でも思わない。

(どこがいいのかなぁー)

 内勤とはいえ、女の子と接する機会の多い仕事をしているくせに、瑛貴は未だに、女の子が喜びそうなこととか、好きそうなものとを考えるのが、お世辞にも得意とは言えない。

「アッキー、どうするか決めたー? え、寝てる!?」
「…起きてるよ」

 テーブルのところで、だらしなく寝そべっていた瑛貴に、風呂から上がって戻って来た依織の、驚いた声が聞こえたので、瑛貴は瑛貴は携帯電話を閉じて起き上がった。

「で、どうすんの? そこで寝んの?」
「ふとんで寝る」
「あっそ」

 タオルでガシガシと頭を拭きながら、依織はテーブルの上に出しっ放しだったチューハイの缶に手を伸ばした。

「もうぬるくなっちゃってるだろ、そんなの」
「ん、ぬるい」

 テーブルに缶を戻した依織が、首にタオルを掛ける。
 それを見ていた瑛貴は、何となく違和感を覚える。風呂上がりだから、髪が濡れているのは当然として、そうでなくて、何か……

「あ、髪の毛っ! 依織、髪っ!」
「ん? 何?」

 アッキー声デカイよ、と依織は眉を寄せて、自分のほうを指差している瑛貴を見た。

「だって、おま…髪の毛、どうしたんだよ!?」
「別にどうもしないよ。髪洗ったらけだし。アッキー何騒いでんの?」
「だって短くなってんじゃん!」

 そうなのだ。
 先ほどまで、肩より少し長いくらいだった依織の髪が、風呂から上がって戻ってきたら、ショートヘアになっているのだ。
 瑛貴が、こんな時間にもかかわらず、声を大きくしてしまうのも無理はない。

「あれ、ウイッグ」
「はぁ~~~~~~…??」
「アッキー、驚き過ぎ」

 今どき、おしゃれでウイッグやエクステを着けている子なんて、いくらでもいるのに、そんなに驚かなくても。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (56)


「だっ…、だって全然分かんなかった…」
「そりゃ自然に見えるように着けてるし」

 あまりにも愕然としている瑛貴におかしくなってきたのか、依織は呆れを通り越して、吹き出してしまった。
 しかし、会った翌日に髪が短くなっているというならまだしも、風呂から上がったら髪が短くなっていたら、普通このくらいビックリはすると思う。

「何アッキー、何でそんなジロジロ見んの?」
「いや…何か女の子に見えなくなったから…。髪短くなったから?」
「違うでしょ、化粧落としたからでしょ。変?」
「変じゃない」

 化粧を落としても依織は、『眉毛なくなっちゃってるし、誰だよコイツ!』ということもなく、間違いなく先ほどまでと同じ、依織の顔をしている。
 もともと依織は、甘いニュアンスの顔立ちをしているようで、メイクで女の子の顔を作っている、というわけではなかったようだ。
 ただ、ノーメイクの依織が女の子に見えるかと言ったら、不思議なことにそれはない。
 今の依織のほうが、何となくあどけない雰囲気がして、さっきまで一緒にいた依織の弟が現れたような感覚すらする。

「依織、ねーちゃんとかいないの?」
「は? 何急に。いないけど……何?」
「さっきまでの依織がねーちゃんで、今の依織が弟」
「はぁ? アッキー何言ってんの? 酔った?」

 何を言い出すのかと思えば……依織は呆れ顔で溜め息を零した。

「だって何かそんな感じじゃん。依織、自分でも思わねぇ?」
「思わないよ、俺、ねーちゃんいねぇし。つーか、もしねーちゃんいて、それとそっくりに女装してたら、ちょっとキモくね?」
「あはははは」
「アッキー何受けてんの、自分で言い出したくせに。何かテンション変ー」

 時刻的にはすっかり真夜中、夜明けにはもう少し時間があるけれど、いつも終電で帰っているなら、眠いのを通り越して、テンションがハイになるには、まだ早いのに。

「いや何か……俺、結構的確なこと言ってね?」
「知らないよ。そんな、似てて当然でしょ、同じ人なんだから。別に俺、変装しようとか思ってるわけじゃないし。つーかマジ受け過ぎだし、アッキー」
「だってー」

 自分で言ったことに、これだけ笑えるなんて、何て幸せな人だろう。
 若干失礼なことを思いつつ、依織はそれを口には出さず、代わりにあくびが1つ出た。

「も、寝よ? つーかアッキー、そんなテンションで大丈夫? 寝れる?」
「寝れるよ、ちゃんとしてるよ」
「何ちゃんとしてる、て」

 依織は笑いながら、ソファに上がっていたクッションを持って来て、1つしかない枕の横に置いた。それを枕代わりにするらしい。

「俺さぁ、寝るとき、電気ちっちゃいの点けて寝る人なんだけど、アッキー平気?」
「何でもいいよ」

 部屋の明かりを落として、もそもそとふとんに入る。
 20代前半の一般的な男子からすれば、どちらかというと小柄な2人だが、1人用のふとんに一緒に納まれば、やはり広々とはいかない。
 瑛貴はいつもより身を丸めて、ふとんを被った。

「依織ー、今さら聞くけど、何で掛けぶとん2枚あんのに、敷きぶとん1枚なわけ?」
「掛けぶとんだって1枚しかないよ。俺が掛けてんの、冬にこたつで使ってたヤツ」

 中途半端に重ねられた2枚の掛けぶとんを不思議に思って、隣の依織に聞いてみれば、そんな答えが返って来る。
 確かに、普通の掛けぶとんにしては、その形が微妙だった。



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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (57)


「…ねぇアッキー」
「ん?」

 静かになった部屋に、依織の小さな声。
 瑛貴が返事をすれば、仰向けに寝ていた依織がもぞもぞ動いて、体ごと瑛貴のほうを向いた。

「さっきメールしてたの、…彼女?」
「ぅん? 違うよ、七槻くん」
「七槻くん?」
「電車間に合った? てメール来た」

 意外と心配性だよね、と瑛貴が笑えば、依織からも笑う気配がする。
 瑛貴が少しだけ依織のほうを向くと、思っていたよりもずっと近い位置に、依織の顔があった。

「アッキー…彼女とメールしないの?」
「するよ? でもこんな時間…絶対寝てるし」
「今、何時…?」
「えっと…あ、ケータイ、カバンの中…」

 壁掛けの時計を確認するには、部屋の中は暗過ぎた。
 携帯電話を見ようと、瑛貴はいつもの癖で枕元を探ったが空振りで、そういえば先ほどメールの後、カバンの中にしまったことを思い出した。

「アッキー、ケータイのアラームとか設定してる人?」
「してない」
「ならいいじゃん。時間はもういい…」

 ふとんを抜け出て携帯電話を取りに行こうとする瑛貴を、依織がやんわりと引き止める。
 まだ外は暗いし、辺りは静かだし、世間が目覚めるにも早すぎる時間だということは分かるから。

「…アッキー」
「ん? 、依織、」

 2人、向き合って入るふとんの中。
 依織は腕を伸ばして、瑛貴のシャツの背中を掴んだ。
 上に乗った依織の腕が重いということはなくて、けれどまるで抱き付くような依織の体勢に、瑛貴は咎めるような声で依織の名を呼んだが、その手は離れない。

「彼女、OLさんなんでしょ? …いつメールとかすんの?」
「昼とか…起きてるし」
「…へぇ」

 自分から聞いておいて、依織からは気のない返事しか返って来ない。
 静かだと思っていた空間、しかしカチカチと1秒を刻んでいく時計の音が、2人の話し声だけでなく部屋を満たしている。

「アッキー、彼女のこと…」

 依織の言葉は、途中で途切れた。
 長い沈黙。
 視線を合わせたまま。

 ゆっくりと依織が、瑛貴との距離をさらに詰めた。

「…、」

 瑛貴の唇は、何事かを紡ごうとした。
 その言葉が何だったのか、依織の名前を呼ぼうとしたのか、咎めようとしたのか、それはもう、瑛貴自身にも分からない。

 ただ静かに、唇は重なった。

 マスカラを落としても長い依織のまつ毛が、瞬きのたびに羽ばたく。
 瑛貴も依織も、瞳を閉じなかった。
 忙しなく動くのは秒針。

 依織とのキスは、アルコールの味がしない。



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